スタッフ写真
本日は当店のスタッフ、尾崎のおすすめのお寺をご紹介!!
宿鳳山高円寺
撮影者:スタッフ
宿鳳山高円寺は弘治元年(1555年)に開山しました。
境内にある双龍の鳥居が特徴です。
東京都には数あるパワースポットのなかでも変わり種の神社仏閣が3カ所あります。
その3つに共通するのがこの宿鳳山高円寺の特徴でもある龍の鳥居で、鳥居の柱に昇りの龍と降りの龍が刻まれています。
このような特殊な鳥居を双龍鳥居というのです。
撮影者:スタッフ
そもそも鳥居とは、人間の世界と神の世界を区分けする結界です。
鳥居は神の世界への入り口の役割があるとされています。
神の世界を繋ぐ神聖な門という事から鳥居にも神聖な力が宿っているとも考えられています。
そして双龍鳥居に彫られている龍も神聖な生き物です。
一説では、獅子や狛犬と同じように神の世界の入り口を守る役割があるとされています。
また双龍鳥居は、左の柱に昇り龍、右の柱に降り龍が彫られています。
左の柱の昇り龍に触れる人は多いですが、降り龍に触れる人は少ないそうです。
しかし、降り龍に触れたからといって運気が下がるわけではありません!
2匹の龍は神聖な守護神ですので、拝めばパワーが授かるかもしれませんよ
撮影者:スタッフ
宿鳳山高円寺は徳川家光が鷹狩りの際に宿として利用していました。
徳川家が大好きだった鷹狩り。
せっかくなのでこの鷹狩りについてもご紹介します。
鷹狩りの歴史は古く、西暦355年まで遡ります。
仁徳天皇の時代に大陸から鷹が輸入され、朝廷を中心に公家の遊びとして親しまれていました。
しかし、もっとも盛んになったのは江戸時代。
武士たちの間で大流行。
徳川家康が鷹を独占した後、三代将軍家光を八代将軍吉宗の時代には鷹場を設置し、鷹狩りの法律を定めて幕府自らが管理をするほどでした。
では何故、もともとは朝廷の遊びであった鷹狩りが江戸時代になって武士たちの間で盛んになったのでしょうか。
それには主に3つの理由がありました。
①徳川幕府による全国統治で戦乱の時代がひとます終わり、武士たちは戦いの実践ができなくなります。
とはいえ武士であるからには万が一の実践に備えて戦闘訓練を積み腕を磨いておかなければなりません。
鷹狩りは獲物を敵に見立て、地形や地面の状態を見ながら瞬時に判断を下す、実践的な戦いのシミュレーションとして役に立ったのです。
②もうひとつ重要だったのが領地視察です。
鷹狩りと称しながら領地を視察することで実態把握が可能になったのです。
③徳川家康は鷹狩りが健康維持のためにも役に立つと考えていました。
将軍家の公式な記録である【徳川実記】によると
「鷹狩は遊娯の為のみにあらず(中略)山野を奔駆し、身体を労働して、兼ねて軍務を調達し給はんと盛慮にて」
とあります。
山野を駆け回って運動することが健康維持に役立つと考えた家康は、鷹狩りに励み、生涯で千回以上もの鷹狩りを行ったそうです。
撮影者:スタッフ
お寺の紹介よりも鷹狩り・鳥居の話が長くなりましたが
由来や歴史などを学びながらお寺や神社をめぐってみると面白いかもしれませんね。
高円寺はお寺の多い地域です。
ぜひ遊びに来てみてください
参照:Wikipedia
サライ.jp
RANPO